大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)2012号 判決

原告

堀川幸子

右法定代理人新権者父・原告

堀川博之

右同母・原告

堀川佐代子

右三名訴訟代理人

村林隆一

外六名

被告

学校法人関西医科大学

右代表者理事

西村甲子夫

右訴訟代理人

森恕

外三名

主文

一  原告らの請求はいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告堀川幸子に対し金八六五万五、〇〇八円、原告堀川博之に対し金二〇〇万円及び原告堀川佐代子に対し二〇〇万円とこれらに対する昭和四九年五月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

(原告らの請求原因)

一 当事者

1 被告は関西医科大学附属香里病院(以下「香里病院」という。)を併設経営する学校法人であり、香里病院において小児科医師野呂幸枝(以下「野呂医師」という。)や眼科医師斎藤紀美子(以下「斎藤医師」という。)らを使用して診療にあたらせている。

2 原告堀川幸子(以下「原告幸子」という。)は、原告堀川博之(以下「原告博之」という。)、原告堀川佐代子(以下「原告佐代子」という。)の長女である。〈以下、事実省略〉

理由

(〈証拠関係省略〉)

第一当事者

一請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。

二原告堀川博之、同堀川佐代子の各本人尋問の結果によれば、同一項2の事実を認めることができる。

第二原告らと被告の法律関係等

原告幸子は、昭和四五年一二月二七日門真市末広町三五六番地の一飯藤産婦人科医院において、在胎二八週間、出生時体重一、一八〇グラムで出生し、翌二八日、その両親原告博之、同佐代子及び右両名を法定代理人とする原告幸子と被告との間に、被告香里病院未熟児センターにおいて、未熟児である原告幸子を保育医療するという事務処理を目的とする準委任契約が成立し、野呂医師、斎藤医師は、被告の被用者として、原告幸子の保育医療にあたつたことは、当事者間に争いがない。

第三原告幸子の臨床経過

〈証拠〉を総合すれば、次のとおり原告幸子の出生状況とその後の臨床経過を認めることができ、〈る。〉

一原告堀川佐代子は、子宮頸管拡大症で、原告幸子の出産予定日は昭和四六年三月一八日であつたが、昭和四五年一二月二七日午前六時三分、在胎二八週三日、生下時体重一、一八〇グラムで出生し、出生時の状態は仮死一度、アプガールスコア五点、チアノーゼ、呻吟が認められた。このため、直ちに保育器に収容し、酸素投与をした。

二翌日(昭和四五年一二月二八日)午後〇時三〇分、香里病院に入院し、入院時の状態は、体重一、一七〇グラム皮膚赤色、皮下血管透視され、爪短かく、小陰唇露出、運動不活発、泣声弱、体温三四度、筋緊脹に乏しく、すべての所見は強度の未熟児を現わすことから成熟度八点(三〇点満点)、脈拍は毎分一二〇回、呼吸数は毎分六〇ないし七二回、レトラクションスコアリング三、四肢末端にチアノーゼ、浮腫、低血糖症が認められたので、引き続き保育器に収容し、同器内の状態を酸素濃度二五パーセント、温度30.5度、湿度八〇パーセントに維持し、二〇パーセントブドウ糖二〇cc、メイロン三ccの静脈注射し、X線所見によれば、肺拡張不全著明であつた。

三原告幸子の全身状態等

1  一二月二九日、前夜、チアノーゼは四肢末端、口、鼻周囲に少々、浮腫全身、呼吸数毎分八〇回、啼泣時呻吟様、体温三五度、運動弱。

午後、呼吸数毎分五〇回、一般状態好転、排便、排尿、軽度の黄疸。

2  一二月三〇日、呼吸数毎分五〇回前後、不規則、シーソー呼吸、呻吟なし。浮腫全身、黄疸やや増加。細管栄養で乳汁(3.0ミリリットル)を注入開始(三時間毎)。

3  一二月三一日から昭和四六年一月一日、チアノーゼ顔面、呼吸数毎分五八回、時に六〇回を超える。不規則著明、シーソー呼吸、レトラクションスコアリング二、体温やや上昇、運動やや活発、比較的元気。

4  一月二日から一月三日、呼吸数毎分六四回、不規則、レトラクションスコア一程度。運動活発、啼泣少い。力強い、一般状態良好、黄疸色増、血清ビリルビン値一デシリットルあたり15.9ミリグラム、光療法開始。三日午後、チアノーゼ顔面増、運動せず、啼泣なし。

5  一月四日から一月六日、呼吸数毎分五〇ないし六〇回、時に七二回不規則著明、シーソー呼吸、血清ビリルビン値一デシリットルあたり10.3ないし9.7ミリグラム、光療法二四時間で中止。膿疱右胸部にあり培養。

6  一月七日から一月一一日、呼吸数毎分四〇ないし六四回、不規則、四秒以上の間隔をおくことがある。胸部の膿疱よりブドウ球菌を検出、自然治癒。運動活発、授乳三〇ミリリットルの八倍と増加、体重一、〇〇〇ないし一、〇六九グラム。

7  一月一二日から一月二三日、呼吸数毎分三四回から七二回、不規則、シーソー呼吸、呼吸促進。体重やや増加、一月一九日一、二三五グラム。

8  一月二四日から一月二七日、呼吸数毎分二六回から六八回、不規則。チアノーゼなし、体重順調に増加、体温三六度ないし三七度。一般状態良好。

9  一月二八日から二月四日、呼吸数大体毎分四〇ないし五〇回、七六回になるも寡少になることなし。体重一、四二五グラム。

10  以後、特段異常なく、四月二日退院。

四酸素の投与

入院当日から昭和四六年一月三〇日まで、酸素を投与し、酸素濃度は、酸素濃度計によつて測定して調節し、昭和四五年一二月二九日、三〇日は三〇パーセント、昭和四六年一月一日から三日までは二五パーセント以下、その余は二五パーセントである。

五眼底検査の所見等

1  昭和四六年一月一九日、両眼とも硝子体混濁のため眼底見えない。

2  一月二九日、硝子体混濁し、反射の光を利用して見たところ網膜の色が正常の色調よりも蒼白に見えた。

3  二月一六日、硝子体混濁があり、ぼんやりと両眼とも動脈、静脈ともに蛇行、怒張が強く見え、左眼は右眼に比し、外側部の方に少し青白く混濁しているように見えた。本症のオーエンスの一期に入るかどうかという時点であつた。リンデロンシロップ(副腎皮質ホルモン剤)の投与を開始した。

4  二月一八日、右眼の瞳孔が正円形であるべきところ楕円形になつており、これは虹彩又は脈絡膜に炎症によるものであると考えられ、アトロピンを点眼した。左眼は硝子体混濁で全く見えなかつた。

5  二月二三日、硝子混濁がやや良好となつたが、依然として両眼ともぼんやりとしか眼底が見えない。左眼は外方赤道部の近くに盛り上つた網膜の混濁が見られ、オーエンス二期の初期と考えられた。ユベラ(ビタミンE剤)の投与を開始した。

6  三月二日、右眼は、硝子体混濁が(±)で少し減少、視神経乳頭の境界はやや不鮮明であるが、色は大体正常で、血管は蛇行も怒張もない。左眼は、ぼんやりと見える血管の状態、周辺の状態から判断して、網膜の盛り上り、混濁、血管の増殖が認められ、オーエンス二ないし三期と考えられた。

7  三月九日、右眼は、中心部における硝子体混濁が強くなり、乳頭部見えず、動脈が細くなり、静脈が太くなり本症の増悪する一つの傾向を示し、網膜も中心部が混濁し、周辺部はやはり硝子体混濁のため詳細不明。左眼は、硝子体混濁が強く、わずかにみえるところから判断してオーエンス三期に相当する変化があるように思われた。

8  三月一一日、特に変化なし。

9  三月一二日、右結膜下出血、瞳孔の開きが悪く、眼底検査できない。

10  三月一三日から一五日、散瞳のためアトロピン点眼。

11  三月一六日、右眼、硝子体混濁非常に増強し、血管わずかに判明するだけ。左眼は見えなくなり、一部で白く輝いている部分から本症と考えられた。

12  三月一七日から二〇日、散瞳のためアトロピン点眼、特段の変化なし。

13  三月二三日、右眼は、内下方に線維状の増殖が認められ、左眼は、線維でみたされ不詳であるが、内下方に白いかたまりが認められる。

右眼は線維の増殖が次第に増加傾向にあり、左眼は、硝子体が線維でみたされ眼底が見えない。線維分解酵素を投与した。

14  四月八日、右眼は、増殖した線維が前の方に膨隆してきており、後の方は混濁が存在する。左眼は、全面的に線維が増殖し、白色瞳孔を示している。線維増殖による眼圧の上昇が問題となるが、眼圧は正常で、毛様充血も示していない。

15  四月二二日、右眼は、線維増殖がある程度進行して、膜のようになる。左眼は、線維に満され、硝子体混濁。症状固定と判断。ユベラ(血管拡張剤)、ノイチーム(線維分解酵素)を投与した。

16  四月二四日、両眼とも四月二二日の時点で絶望的になつたが、わずかでも視力をとりもどせればと内服薬投与。

17  一〇月七日、投薬終了。

18  一〇月二一日、受診終了。

第四事故の発生

原告幸子が本症に罹患し、本症により両眼とも失明したことは、当事者間に争いがない。

第五被告の責任

判旨一医師の過失の判断基準

医師は、人の生命及び健康にかかわる医療行為に携わるものであるから、医療の専門家として、高度の臨床医学の知識に基づき、自己のなしうる最善を尽して患者の生命及び健康を守るべき義務があり、この義務に違反したことにより患者の生命または健康を害する結果を生じたときは、当該医師には法律上の過失があつたものといわざるをえない。

医療行為は、臨床医学の実践としての性質を有するものであるから、医師は、少なくとも当該医療行為のなされる当時における臨床医学の水準的知識に従つて医療行為を実施しなければならない。

当該医師の従うべき臨床医学の水準的知識は次のように形成される。即ち、臨床医学は日々進歩して止まないものであるから、その知識の体系は確固不動のものではなく、特に先進的部分においては、常に病理現象及びその治療に関する新たな仮説が生成発展する。このような仮説は、医学界に学術的課題として提起され、基礎医学的または臨床医学的に研究、討論の対象とされ、その中で、数多くの追試が成功し、科学的な検証に耐え、学界レベルで一応正当なものとして認容されることが必要である。さらに、多くの技術や施説の改善、経験的研究の積み重ねにより、臨床専門医のレベルで、その実際適用の水準として、ほぼ定着に至つた場合はじめて、当該医師の行うべき臨床医学の水準的知識になる。ところで、一人の医師に全専門分野における水準的知識を期待することはすべてできないから、原則としてその専門ないし隣接分野におけるそれを期待しうるにとどまる。

ただし、具体的事案における特定医師の医療行為に対しする過失判断基準としての医療水準は、当該医療行為のなされた時期、当該医師の専門分野、その置かれた社会的、地理的その他の具体的環境等諸般の事情を考慮し、具体的に判断されなければならない。

二本症について

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ〈る。〉

1  本症の初期の病態は網膜血管の増殖性変化であり、(網膜血管の収縮、閉塞を原発性変化とする場合もあるが実験的には可能であるが臨床的所見としてはとらえられない)、つづいて発育途上の網膜血管が異常な増殖をきたし、網膜剥離を起して失明ないし強度の視力障害に至るものがあるとともに約八〇パーセントがそこまで至らずに自然寛解する疾患であつて、その発生原因は、いまだ医学的に完全に解明されているとはいえないが、その素因は網膜血管の未熟性にあり、未熟児保育に不可欠な酸素の投与が誘因となつて発生するものとされている。

右見解の裏付けとして、本症は、未熟児のうち在胎週数が短いほど、生下時体重が低いほどその発生率が高く、重症化しやすく酸素投与の期間ないし量が増すほど発生率が高くなることが報告されている。ただし、稀には酸素投与を全く受けていない未熟児に本症が発生した例が報告されており、児の個体差や酸素以外の因子の存在等が指摘されているけれども、本症発生の原因として、網膜血管の未熟性と酸素投与があげられることは、ほぼ異論をみないところである。

2  未熟児は、生理機能全般の発育が未熟であり、肺機能が未発達であるために無呼吸発作、呼吸窮迫症候群(RDS)、高ビリルビン血症などに陥り易く、このため、死亡に至り、又は生存し得ても、脳障害を残すことが多く、このような危険を未然に防止するため、酸素を投与されることが極めて多い。

呼吸窮迫症候群とは、呼吸数一分間六〇回以上、呼気時の呻吟、レトラクションスコアが未熟児で五点以上、酸素を補給しないとチアノーゼが現われるという四項目のうち二項目が一時間以上の間隔をおいて引き続き二回以上認められ、そのうちその原因が呼吸器外の異常による場合、肺疾患であつても肺炎、肺出血、気胸によると判定される場合を除外し得る症例をいう。

チアノーゼ、呼吸促迫は酸素不足の徴憑であり、不規則呼吸は無呼吸発作の兆しを示し、シーソー呼吸は呼吸障害の一つの症状であり、浮腫があり、未熟性の強いことは、肺硝子膜症に移行する可能性が大であり、低体温は、ノルアドレナリンというホルモンの働きにより、肺の毛細管を収縮させ、肺の機能を低下させ、呼吸性あるいは代謝性アヂドーシス、酸欠症をおこし、一方呼吸中枢の興奮性をなくし、呼吸中枢を麻痺させる。

高ビリルビン血症の治療としては光線療法が定着している。

呼吸窮迫症候群(RDS)について、出産児体重一、二五〇ないし一、五〇〇グラム以上の児においてはアルカリ輸液法の効果(生存率上昇)が認められているが、より低体重児では効果が疑わしいといわれており、昭和四六年、イタリアにおける報告によると、体重七五〇ないし一、二五〇グラムの児に関しては、アルカリ輸液法は生存率を高める効果は認められないとしている。

3  未熟児は、肺の未熟に加えて、種々の原因による呼吸困難、無酸素症が起りやすいので、必要にして十分な酸素を投与することが大切であり、そのために酸素濃度を四〇パーセント以下にすることという指標がたてられたこともあるが、同条件下での発生例もあり、本症の発生を避け、かつ、無酸素症による脳障害の発生を避けることができる酸素の濃度、投与期間については、定説がない。本症の発生は、保育器の酸素濃度ではなく、未熟児の動脈血中の酸素分圧(PaO2)の急激な変化によりもたらされるものであり、PaO2値が六〇ないし八〇ミリメートル水銀柱であれば、本症は発生しないという考えもあるが、同条件下で発生した例もあり、PaO2値は、児の状態によつて変化することが多いので、頻回に測定する必要があるが、同一箇所から連続して動脈血を採取することはできず、そのために動脈血をたびたび採取することは、未熟児に危険を与える等困難である。国立岡山病院の山内逸郎医師は、昭和五〇年、右連続測定を可能とする簡易な経皮的測定方法をわが国に紹介し、これ以降PaO2の測定は大きく前進した。

4  本症は、臨床経過、予後の点より、Ⅰ型、Ⅱ型に大別され、Ⅰ型は主として耳側周辺に増殖姓変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型であり、Ⅱ型は、主として極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症、血管新生が後極よりに耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、ヘイジイ・メディア(眼球の透光体の混濁状態)のためにこの無血管帯が不明瞭なことも多く、後極部の血管の迂曲、怒張も初期よりみられ、Ⅰ型と異なり、段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い比較的速い経過で網膜剥離をおこすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型である。右分類の他に、極めて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の混合型ともいえる型がある。

Ⅰ型の臨床経過は、つぎの四期に分類される。

一期 血管新生期

周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないが、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

二期 境界線形成期

周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

三期 硝子体内滲出と増殖期

硝子体内へ滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。〔この三期は、前期、中期、後期に分ける意見があり、それによると前期は、極く僅かな硝子体内への滲出、発芽を検眼鏡的に認めた時期であり、中期とは、明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた時期をいい、後期とは、滲出性限局性剥離(境界線が後極側に向う扁平剥離や、境界線がテント状に硝子体内にはりだす時期)をいう。〕

四期 網膜剥離期

明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全周剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。

Ⅱ型発症の誘因としては、生下時体重一、四〇〇グラム以下、在胎週数三三週以下に集中しているというほか、特別の誘因は現在のところ見い出されていない。また、Ⅱ型の存在は昭和四六年ころよりその報告がなされるようになつた。

なお、オーエンスは、一九五四年アメリカ眼科学会で、本症の臨床経過を次のように分類、報告している。活動期、瘢痕期に大別され、その間に寛解期が入る。活動期は五期に分類され、第一期は、網膜動静脈の拡張蛇行が顕著であり、周辺部網膜に新生血管が発見される。第二期より進行し、硝子体混濁と広範囲の血管新生とが現われ、周辺部眼底に灰白色の領域が出現し、網膜に小出血斑が散在する。第三期は赤道付近の網膜隆起部から新生血管の細い束が間質組織を伴つて硝子体内に伸び、眼底周辺部では局在性の網膜剥離が出現する。第四期は、血管増殖が網膜の半周以上に及んだ時期であり、眼底周辺により広範囲な剥離が出現する。第五期は、網膜全剥離に至つた時期をいい、硝子体大出血を伴うことがある。

5  眼底検査

眼底検査は本症の発生、臨床経過を把握するうえで、有効な方法である。ただ、出生時体重一、五〇〇グラム以下のものでは、ヘイジイ・メディアの存在のために眼底検査が満足に行いえない場合がある。

極小低出生体重児の場合、生後一週間目ころは産科医、小児科医は患者の救命に全力をあげており、眼底検査を行う状況にないことが多い。二週間目にはいると眼底検査を行いうる状態となる乳児も増加して、在胎週数、出生体重と合せ、眼底の成熟度、未熟度を把握し、産科、小児科医にある程度発症の危険度に関する情報を提供しうるようになる。三週目にはいると、呼吸障害の持続している児以外は保育器外でも検査が行いうるようになる。

6  光凝固法

昭和四二年、永田医師によつて応用された光凝固法は、本症に罹患した未熟児の網膜の疾患部分に光を照射して焼き、網膜を光照射時における状態で固定し、症状の進行を停止させる治療法であり、本症進行過程の途中、遅くも活動期三期前半までに実施すれば有効であるが網膜剥離期にまで至つた場合は効果がないとされる。

しかし、光凝固法は昭和四五年末当時(昭和四六年二月頃も同じ)、永田医師が、昭和四二年秋と昭和四四年秋に臨床眼科学会において、その実施結果を報告し、眼科専門雑誌「臨床眼科」において昭和四三年四月、昭和四四年五月、同年一一月に合計一二例を登載して成果について肯定推せんの説明を加え岩瀬医師外が昭和四五年二月専門雑誌「小児」において光凝固法が提唱されている旨を紹介し、植村医師が昭和四五年一一月専門雑誌「小児科」において同法を紹介したほか文献に登載されることはなくいわば臨床実験段階と言つてよいほどのものであり、永田医師の影響を受けて田辺医師(名鉄病院)、大島医師(九大病院)、上原医師(関西医大付属病院、滝井)その他も昭和四四年頃から追試的に光凝固をやり出した。上原医師に関して言えば、昭和四四年秋に光凝固の機械設置、昭和四四年一一月一例、昭和四五年六月三例、同年九月一例を実施したが、有効例二例、無効例二例(各片眼)、片眼有効眼無効例一例を加えた。然しそれらの追試報告は一編も発表されておらず、その適応、予後、副作用、遠隔成績の検討、自然経過の比較等については今後の追試による検証をまつほかない状態にあつた。

Ⅰ型は大多数が自然治癒するので、光凝固に踏切るには確固たる根拠がなくてはならない。三期に入つて硝子体中への発芽がみられるようになつても後極部網膜動脈の蛇行や静脈の拡張がまつたくみられないような場合は急速に進行する心配はないので週一回の眼底検査を行いながら慎重に経過をみてよい。硝子体中への血管増殖が日を追つて盛んとなり、後極部の血管の拡張がみられるようになり、硝子体中への出血が出現するような場合は光凝固を行つてもよいが硝子体出血のない場合、片眼凝固を行つておいて他眼の自然経過をさらに観察するのは良い方法であるが、硝子体中への増殖過程が強い場合三期の晩期になると網膜血管の耳側への牽引が起り始め、この時点で光凝固を行うと治癒しても二度以上の瘢痕を残すことがあるので、この時期の判断は無血管帯の広さ、後極部血管の所見、進行の速度などを考慮して適確に下さねばならない。

Ⅱ型は治療を加えないで放置するとまず絶対に失明する重症例であるが、このような症例は光凝固によつても治癒するとは限らない。生下時体重が極端に小さく、在胎週数も短く、酸素投与日数が長びいている症例では全身状態が許せば保育器の中にいるときから眼底検査を試みて眼底所見の動向をしつかりと把握しておくことがもつとも大切である。初回の眼底検査は遅くとも生後三週目には行わなければならない。このような例ではヘイジイ・メディアのため生後一ないし二週間は眼底がきわめてみえにくいが、眼底がはつきりみえるようになつたとき、すでにⅡ型の特徴的所見がみられることが多いので診断が確定し、全身状態が許せばただちに光凝固治療を開始した方が良いとされる。

なお、本件当時までに、永田医師はⅡ型に遭遇したことはなく、後日、Ⅱ型について、光凝固法によるも治療の不成功の例を経験している。

7  冷凍凝固法

本症に対する冷凍凝固法は、山下由紀子医師らによつて試みられた術法であり、昭和四五年一月から症例を選んで治療を行つてき、その臨床実験の結果について文献的発表をみたのは、昭和四六、四七年である。

三被告担当医の過失について

1  酸素投与について

原告らは、原告幸子の全身状態からみて、酸素投与の必要性がないのに、又酸素投与に代替できる方法があるのに、被告担当医は漫然と酸素投与をしたものであり、酸素投与をするにあたつてPaO2測定をしなければならないのに漫然と酸素濃度計による酸素濃度測定のみに依存したと主張し、右主張に符合する甲第七六号証が存する。

甲第七六号証によれば、酸素投与の適応は昭和四五年一二月二八日から昭和四六年一月三日までであるとし、その理由として、医師記録と看護日誌の検討の結果を総合すれば、低酸素血症を疑わせる症状が存在したのは長くとも右期間であるとし、呼吸不規則については、呼吸数毎分五〇ないし六〇回では呼吸運動が不規則な未熟児では病的な状態ではなく、健全な未熟児であつてもしばしば呈する呼吸状態であり、呼吸困難に陥つていると解釈できる症状ではないとする。

前記認定のごとく、被告担当医師は、昭和四五年一二月二八日から昭和四六年一月三〇日までの三四日間にわたつて、原告幸子に酸素投与したものであるが、酸素投与終了時ころまで、原告幸子は呼吸数毎分二六ないし七二回、不規則呼吸、シーソー呼吸、呼吸促迫が出現していたものであり、不規則呼吸は無呼吸発行の兆しであり、シーソー呼吸は呼吸障害の一つの症状であり、呼吸促迫は酸素不足の徴憑であるから、酸素投与を不要とする症状にはなかつたものと認められ、アルカリ輸液法については被告担当医師も試みているところであるが、同法は一、二五〇グラム以下の低出生体重児について生存率を高める効果は疑わしいところであるから、同法のみにより満足すべき結果を得ることは疑問視されるので、被告担当医師が酸素投与を併用したことを不当と断ずることはできず、低体温のみを示標として酸素投与がなされたものでもない。PaO2測定がなされないまま酸素投与されているが、PaO2値を六〇ないし八〇ミリメートル水銀柱に保てば、本症に罹患しないとは言えないが、一応の有効性を認められるものの、本件当時、PaO2測定自体採血上非常に困難であり、連続的測定をする必要があるのに未熟児の負担との関係から危険が存し、不可能であるところ、右技術的困難を克服した経皮的測定方法は本件後我国に紹介されたものであり、被告担当医師にPaO2測定を本件当時強いることは難きを強いるものといえる。酸素濃度を調節して本件におけるように三〇ないし二五パーセント程度をもつて不当と断ずることもできない。

以上総合すれば、原告らの主張を採用することはできないし、被告担当医の酸素投与上の過失は無かつたとするほかはない。

2  眼底検査について

原告らは、原告幸子に対する眼底検査をもつと早期に頻回になすべきであつたと主張する。

本症発見のためになされる眼底検査実施義務が成立するためには、本症に対する有効な治療法の存在を必要とする。すなわち、医療の場面においては、いかに眼底検査を実施しても、これに続く有効な治療法が存在しなければ、その眼底検査は単なる検査のみに終るので何らの意味をもたないからである。病理研究や治療法の開発研究のためのみに行う眼底検査は法的注意義務に基づくものとはいえない道理である。

前記認定のとおり、被告担当医は昭和四六年一月一九日、生後二四日目から眼底検査を行つているのであるが、原告幸子のような極小未熟児はヘイジイ・メディアの存在のために眼底検査を満足に行いえない場合が存し、生後二週目から三週目で眼底検査を行いうるもので、現に原告幸子の場合、眼底検査期間中を通じて硝子体混濁、網膜混濁が存し、眼底を十分に見ることができない状態にあつたもので、生後二四日目をもつて遅きに失したということはできず、その後の眼底検査の実施をもつて回数において不足ありという点も、右混濁の状態、瞳孔の開きが悪いという点からみて、必ずしも眼底検査の回数が少ないということはできない。また、本件当時、後記のとおり、本症の治療法として光凝固法、冷凍凝固法が臨床医学の水準的知識に達していたものということはできないから、被告担当医に法的義務として眼底検査義務を位置づけることはできない。

従つて、原告らの眼底検査義務違反の主張を採用することはできない。

3  光凝固法について

原告らは本件当時、本症の治療として、光凝固法が有効であることを一般に知見を得ていたもので、被告担当医師は適期に光凝固法を実施しなかつた過失があると主張する。

前記認定のとおり、光凝固法は、本件当時、その実施結果を報告した報告、文献は応用者である永田医師の眼科学会における報告、論文と植村医師の論文だけであり、他の医師の追試結果に関する文献はなく、いわば臨床実験の段階と言つてよいほどのもので臨床医学の水準的知識に達しているとは言えず、本件当時以後、本症経過による分類として、Ⅰ型、Ⅱ型、混合型と分類され、Ⅰ型は自然治癒傾向が強いので三期の前半を適期とし、Ⅱ型は必ずしも光凝固法が適応とするものではなく、光凝固法を実施するにしても、急速に進行することから児の全身状態さえよければ診断確定次第実施する必要があると説かれるようになり、原告幸子の臨床経過からみて、右眼はⅡ型、左眼はⅡ型ないし混合型と考えられ、原告幸子の両眼とも終始硝子体混濁、網膜混濁がみられ、光凝固法を実施するに困難な状況にあり、瘢痕期を迎えているものである。

従つて、原告の右主張は採用し難い。すなわち、光凝固法の実施は法的義務として位置づけられない。

前記証拠によれば、斎藤医師は、昭和四五年一二月以前に、永田医師の眼科学会における報告を聞いており、付属病院(滝井)において追試として光凝固法が施行されていることを知つていたが、後者からは著効があるようには聞かされていなかつたことが認められ、このような事実を考慮しても右結論を左右しない。

4  冷凍凝固法について

原告らは、本症に対し冷凍凝固法も有効であると主張するが、本件当時、冷凍凝固法に関する文献はなく、臨床医学の水準的知識とはいえないので採用できない。

5  説明、転医義務について

原告らは、永田医師、塚原医師という本症及び光凝固法に明るい医師が近隣にいたのであるから、原告博之、同佐代子に対し被告担当医は原告幸子の症状、右事実を説明し、右医師らの受診を勧告すべきであつたと主張する。

しかし、前記認定のとおり、光凝固法は、本件当時、未だ臨床医学の水準的知識に達していず、まして原告幸子の罹患したⅡ型ないし混合型について何らの論文発表もない段階であり、永田医師が本件当時までに光凝固法に成功したとする症例にⅡ型は含まれていないことを考えれば、被告担当医に右説明、転医義務を強いることはできない。

四被告の責任について

前記のとおり、被告担当医には原告ら主張のような過失は存しないので、被告もまた何らの責任はないというべきである。〈以下、省略〉

(林繁 笠井達也 渡邉了造)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例